海北友松

海北友松(かいほうゆうしょう)は桃山時代の絵師ですが、その時代に活躍した狩野永徳、長谷川等伯にくらべてあまり知名度はありません。

友松は近江の浅井家の有力武将の息子として生まれます。

時は戦国時代です。3歳の時に父が戦死し浅井家は滅亡、兄達も討ち死にしました。

その後、京都・東福寺で禅僧となりますが、和尚の勧めもあり狩野派に入門します。

師匠の永徳が亡くなった後は独自の世界を展開します。

彼が画壇で頭角を現すのは60代になってからで、非常に遅咲きの絵師です。

京都・建仁寺の大方丈の間に描かれた「雲龍図」は縦2メートル近い画面の8面構成で「日本一の龍」と呼ばれています。

又、最晩年の水墨画の「月下渓流図屏風」は月明かりに照らされた春の宵の情景が見事に表されています。

上記の作品をみても友松が狩野永徳、長谷川等伯に影響を受けていることは明らかです。

しかし、友松は永徳や等伯のように自分の流派を広げようとはしませんでした。

そのようなことには関心はなかったようです。

武家出身の矜持、そして茶の湯や連歌に親しむ教養人としての誇りがそうさせたのかもしれません。

そんな海北友松の特別展覧会が京都国立博物館で4月11日から開催されています。

興味のある人は是非どうぞ。