希望的観測のわな

先日、作家の浅田次郎さんの講演を聞く機会がありました。

浅田次郎さんは直木賞を受賞した「鉄道員」(ぽっぽや)をはじめ、多数著書を執筆し、人
情味あふれる作風は多くのファンから愛されています。

題材は、現代からさかのぼること150年間の話に限定しており、日本のみならず中国を
舞台にした小説も数多いです。

その浅田さんが日本のメンタリティは希望的観測に基づくものが多いと言っていました。

問題が起こると、これ以上に悪くなることはないだろうという根拠のない前提からはじま
り、「こうなってほしいな」「多分こうなるだろう」「きっとこうなる」「こうなるに違いない」と
論議を深めるたびに変化していくというのです。

そこには、責任をとりたくない気持ちや変化に対応することに億劫な気持ちに支配され
つつある人間の内面があり、安易に希望的観測にのってしまいがちな気質が日本人に
はあるというのです。

それは、常に隣国からの侵略におびえて、最悪のシナリオを現実的なものとしてイメー
ジして生きてきた中国大陸や、ヨーロッパの人々のメンタリティとは大きな差があるとい
うのです。

歴史的にみても、日本は実質的な他国の侵略を受けていない大変珍しい国であるとい
えます。

そこで生まれ育った日本人は、ある意味平和慣れしています。

それが悪いとは思いませんが、問題に対処する際にはくれぐれも安易な希望的観測に
のらないように注意しなければならないと思います。